インボイス制度はすべての人を巻き込む
2023年10月1日からインボイス制度が始まります。
「私は事業者じゃないから関係ないもん♪」と今日も晴れやかな顔した誰かさん。 無関心でいられても無関係ではいられませんよ。
今回はクリエイターという一個人の立場にとどまらず、あらゆる分野で活躍しているフリーランス(個人事業者)の立場になったつもりでインボイス制度の問題を考察していこうと思います。
『事業者だけの問題』と考えるのは大間違い
インボイス制度は、短期的に見れば消費税の税率を変えずに手っ取り早く税収を増やせる増税手段です。 しかも物価上昇局面にありながら実質賃金は下落しているという最悪のタイミングで始めようとしています。
10月1日を迎えると、『ある理由』から課税事業者は免税事業者との取り引きで突然、消費税の負担が今までよりも重くなります。 その負担を巡って事業者同士の押し付け合いが始まり、やがて商品やサービスの価格を押し上げる形となって私たち消費者の暮らしを巻き込んでいきます。
ところで、税率を変えない増税とは一体どういうことでしょうか。 そのカラクリを紐解きながら、『ある理由』の正体に迫っていきましょう。
請求書の種類が2種類になる
インボイス制度が始まると、請求書の種類が2種類に分かれます。
簡潔に言えば、税務署が認めた適格請求書(インボイス)と、それ以外です。 新たに加わる適格請求書は法律によって記載する内容が決められていて、今までと異なる最大の特徴は適格請求書発行事業者の登録番号が表示されることです。
この適格請求書(以下「インボイス」)と呼ばれるものにはコンビニなどのレジで渡されるレシート類(領収書等)も含まれます。 その発行者が適格請求書発行事業者であればレシート類にも登録番号が入ることになります。
登録番号の表示が無いものは、たとえそれ以外の内容がインボイスの体裁を取っていたとしてもインボイスとして認められません。
インボイスを発行できるのは課税事業者だけ
個人であるか法人であるかを問わず、インボイスを発行できるのは消費税を納税している課税事業者だけです。 したがって、1年間の売上高が1000万円以下の、いわゆる消費税を納付する義務が免除されている免税事業者はインボイスを発行することができません。
免税事業者であった者がインボイスを発行するには、消費税を納税する課税事業者に転換しなければなりません。
課税事業者はインボイスを取り付けないと実質増税
納めるべき消費税から仕入れにかかる消費税を差し引くためにはインボイスが必要です。
課税事業者は売上にかかる消費税10%分(売上の110分の10)をまるまる納税しているわけではありません。 納めるべき消費税額から仕入れにかかる消費税相当分を差し引いた残りの分だけを納めています。 このように差し引く会計処理を仕入れ税額控除(以下「仕入税額控除」)といいます。
今までは免税事業者に支払った代金であっても消費税10%分を仕入税額控除で会計処理することが認められていました。 ところが、2023年10月1日からは8%、2026年10月1日からは5%、そして2029年10月1日からは0%というように段階的に仕入税額控除を縮小され、最後は廃止されます。
この流れで免税事業者に支払った代金のうち仕入税額控除ができなくなった分だけ消費税を余計に納めることになるので、課税事業者にとっては実質増税というわけです。
そして企業努力という名の下に(増税分の損を埋めるために)商品やサービスの価格を引き上げたり、消費税の課税対象となる人件費を削ったりといった動きが現れ始めます。
免税事業者は取り引きから排除されていく
10月1日以降、インボイスのない仕入れは仕入税額控除の対象ではなくなります。 つまり、「免税事業者と取引する=実質増税」という図式が出来上がるので、ほぼ間違いなく免税事業者は課税事業者から敬遠される存在になるでしょう。
一応(建前として)、インボイスがないことを理由に取引価格を引き下げさせたり、課税事業者への転換を求めたりする行為に対しては不当事案として積極的に対処していくという政府方針が示されています。
しかし一方で、不当事案に当たらなければ契約の解除もまた自由だという認識が示されているので、どんなに法令で規制しようと抜け穴だらけ。 規制の実効性については常に懐疑的な姿勢を持っておくべきかもしれません。
免税事業者が課税事業者になるための覚悟
免税事業者が課税事業者になると新たに消費税を納める義務が生じます。
現行の税率で考えれば「売上高の110分の10」から「仕入れ代金の110分の10」を差し引いた残りが納税額になります。 つまり、もともと仕入れが少ない業種・職種の人や、外注先に多くの免税事業者を抱えていて、仕入税額控除できるものがほとんどない人ほど納税負担が重くなるわけです。
たとえば、アシスタントさんに報酬を支払っている漫画家さんや、専門スタッフに仕事を出来高制で割り振っているクリエイターさんなどは後者に当てはまります。 納税額を少しでも減らすためにアシスタントさんやスタッフさんに「課税事業者になってくれ」とは言えません。
仕入れで差し引けるものがほとんどないとすると、売上の1割(約1ヶ月分の所得)を消費税として納税しなければなりません。 今後、消費税率が引き上げられると、またさらに納税負担が増していきます。 そしてその負担を価格に転嫁することが難しい業種・職種ほど損失が膨らんでいくことになります。
さらに面倒なことは、取り付けたインボイスを国税庁の適格請求書発行事業者公表サイトで全件確認しなければならないなど、会計処理や消費税の納付とは関係のない煩雑な事務作業に追われてしまう、ということです。
たとえば、声優さんやハンドメイド作家さんなどのようにレッスン(研修費)や材料費のような日々の細かい仕入れが多い業種・職種の人にとってはただ事ではありません。 本来ならスキルアップや製作時間などに貴重な時間を振り向けるべきところ、膨大な領収書の仕分けとインボイス登録番号の確認作業に追われるわけですから、それはもう計り知れない負担です。
まさに政府が掲げる生産性の向上とは真逆のことが起こるわけで、しかも煩雑な事務作業をこなすため新たに人を雇ったり外部委託サービスを利用したりすれば、それだけ費用も余計にかかるという、もはや悪夢以外の何者でもありません。
免税事業者が廃業を考える理由
インボイス制度が始まったら廃業するかもしれないと考えている人たちがいます。
理由その1
たとえ課税事業者になったとしても所得の1割近くを納税してたら生活が立ち行かなくなるし、インボイス関係の事務処理に時間を割いている余裕もない。 ましてや消費税の申告納税のために会計ソフトを導入したり、専属で処理してもらう人を雇い入れたりする費用など捻出できるわけがない。 インボイスを発行したからと言ってそれらの負担を穴埋めできるほど売上が伸びるという保証はない。
理由その2
免税事業者のままでいれば今の取り引き先を繋ぎ留めるなどの現状維持で精一杯になる。 取り引き先の納税負担が増すという理由で市場取引から排除されていくことはあっても、これから免税事業者の地位が上がって引き合いが伸びていくことはないように思う。 ひとたび取り引きを打ち切られたら、代わりとなる取り引き先を見つけない限りジリ貧になることは目に見えてる。
色々な方の主張を分析してみたら、大体この2つに集約できることがわかりました。 文脈は私が勝手にアレンジしたものですが、概ね筋が通っていると思います。
結局どちらを選んでも幸せになれない
課税事業者になっても免税事業者のままでいてもデメリットしかないというのがインボイス制度の一番厄介な問題です。
免税事業者がこれから課税事業者になると新たに消費税を納めなければならなくなり、現行の消費税率で計算すると概ね所得の1割が目減りすることになります。
仕入税額控除によって経費にかかる消費税を差し引けば納めるべき消費税をある程度減らすことはできますが、インボイス付きの経費以外は仕入税額控除が認められないので、経費の支払先についても見直す必要があります。
インボイスを取り付ければそれで安心というわけではなく、インボイス発行事業者の登録番号が正しい番号かどうかを適格請求書発行事業者公表サイトでいちいち確認しなければなりません。
そしてもうひとつ、『人件費は仕入税額控除の対象にならない』ということも知っておきましょう。 人件費が増えればそれだけ課税される消費税が増えていくので、自由に値上げできない業種・職種ほど資金繰りが悪くなってしまいます。
課税事業者になっても仕事を続けていけるかどうかは、これらの課題をクリアできるかどうかだと思います。
課税事業者になれば金銭的にも事務的にも負担ばかりが増えてしまうことはわかりました。 では免税事業者のままでいる方が有利なのでしょうか。
もちろん免税事業者のままでいることも選択肢として残っていますが、もしかしたら取引先から消費税分の値下げを求められるかもしれません。 要求に応じなかったら仕事を打ち切られてしまう、なんてことはないでしょうか。
今よりもっと売上を伸ばそうと思って取引先の開拓に力を入れたとして、インボイスを発行できない免税事業者と積極的に契約してくれるところはどれくらいあるでしょうか。
今まで以上に大きな不安や悩みを抱えながら仕事をすることになりそうです。
免税事業者のアドバンテージが共倒れを招くことも
ある分野で代替が難しい特別なスキルを提供できる人は免税事業者のままでいても価格交渉力を保ったまま仕事を請け負うアドバンテージ(強み)になり得ますが、裏を返せば仕事を発注する側にとっての増税原因でもあるわけです。
発注側に十分な売上があれば別ですが、そうでなければ何かしらの手を打たなければなりません。 商品やサービスに価格転嫁をすれば価格競争力を失い、社内の人件費を削れば人材流出に繋がり、下請けの免税事業者が取引価格の条件見直しに応じてくれなければ、遅かれ早かれ八方塞がりになることくらいは想像できます。
万一、発注者側が経営難に陥って廃業することにでもなれば、それまで仕事を請け負っていた免税事業者まで痛みを負うことになります。
免税事業者の廃業がもたらすもの
課税事業者への転換を望まずに廃業していく免税事業者が増えれば増えるほど、課税事業者にとっても実は不利益になります。 今まで頼っていた外注先を失って仕事が滞ってしまうところもあれば、減産を余儀なくされて余剰人員を整理しなければならなくなるところも出てきます。
内製化に舵を切ったとしても、人手が十分に足りていなければ業務が滞ることに変わりありませんし、新たに人を雇い入れたくても人件費は仕入税額控除の対象にならないので消費税の負担増という頭の痛い問題が常につきまといます。
結局、販売価格を引き上げるか人件費を削るかのどちらか手を打たなければならなくなり、そのツケは物価の上昇や賃金の減少という形で消費者や労働者に押し付けられることになります。
まとめ
小規模事業者の廃業、労働者の賃金減少、ものやサービスの物価上昇。 色々な場面で繰り返し出てくるこれらの問題は誰も望んでいないものばかりです。 しかし、インボイス制度による消費税の押し付け合いが、巡り巡って私たちの暮らしや仕事にも影を落とそうとしています。
また、インボイスは課税事業者にとって「仕入税額控除=節税」という価値を持ち始めるという意味でも罪深いと思います。 すでにB2Bマッチングサイトや某大手ネットショッピングサイトなどではインボイス対応の有無で登録事業者の検索を絞り込んだりする機能が実装されました。
今後は、フリーランスで新規に事業を始めても企業開拓の場面で免税事業者という地位がハンデとなっていくことは想像に難くありません。
おことわり
実際はインボイスがなくても仕入税額控除を一定程度まで認める経過措置があったり、発注者が簡易課税制度の適用を受けている事業者であれば受注者がインボイスを発行できなくても差し支えなかったりとかいうケースがあります。
しかし、個々の限定的な条件をすべて織り込んで説明すると話が複雑になりすぎてしまうので、ここでは個別具体的な事例を省きました。
おわりに
クリエイターの方も一般の方も、どなたであってもそれぞれの立場でインボイス制度への向き合い方を考えておく必要があるかもしれません。
本当はインボイス制度と関わりの深い消費税の闇について言及したかったのですが、ここでは「創作や表現活動に取り組んでいる人が知っておいて損はないもの」というスタンスで書きたかったので小難しいことは割愛しました。
もう少し踏み込んだことが知りたいという方は別のブログの投稿「インボイス登録やめます(そこはかとなくゆかし)」にもお立ち寄りください。 私がインボイス登録を見送ることにした背景としてインボイス制度と消費税の闇について簡単に触れています。
拙文最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。